春から何度か東京と京都を行き来していて、今の滞在はそろそろひと月を超える。日々の暮らしは夜明けとともに起き、京見峠に湧き水を汲みにいき、ご飯をつくって掃除、洗濯。散歩をしてinternetでnewsを見て(TVはやめた)スケッチをし日中暑いうちは家で読書、そして晩御飯の支度。情報をできうる限り少なく、必要最低限だけ取り入れるようにしている。そんな生活をしていると、いかにメディアが扇動的で為政者の都合の良いような情報ばかり流しているかがよくわかる。つい最近まで、自分もmassな発信者側にいたわけだが「普通」の生活者は垂れ流される情報にいかにnaiveであることか。高校の頃、西海岸boom,いわゆるPOPEYE世代であった僕は、その影響をもろに受け、こんなにみんなが熱狂するのであれば、自分は影響を与えられるよりは与える側にいきたいと思い東京を目指した。インターネットはもちろんパソコン通信もまだない時代、自分が発信するメディアが欲しかったのである。芸大を卒業し、広告代理店に入って自分の編集、レイアウトデザインをした雑誌の中吊り広告が首都圏の電車に掲載された時の至福の喜びをいまもよく覚えている。CMを作りWEBを企画し「サラリーマンクリエーター」として30有余年を過ごしたあと、40年ぶりに故郷で一人暮らし(幸いなことに理解のある家族とワンコに恵まれ)。TVはない。ラジオを少し。気に入った(静かな)CDのヘヴィーローテーション。情報ってそんなにいるんだっけ?ネットのニュースは半日おくれ。無問題。世の中、情報が多すぎて、それも根拠の希薄な扇動的なものがほとんど。明日からは小・中学生の頃に夏を過ごした親戚の山間の民宿にお世話になり自分の70年代をおさらいしたいと思う。お試しの京都でoffice(というのもbusiness臭が強くてatelierというのもアートすぎる気がするのでどういうか悩み中)を据えるべく日々の糧を楽しみながら得る試みをしようと、思う。自分が勝手に抑制していたものをRELEASEするべく。よろしくおつきあいいただければ幸いです。